「おとボク」の萌え構造 >> 14. 補遺・その4 萌えの《主体》なのか《客体》なのか――「プレイヤーが萌えキャラになる」という言葉の意味するもの +「プレイヤーが萌えキャラになる」という言葉の意味するものについて、第二章/第二節だけでは説明不足であることがわかりましたので、補足しておきます。ここでは、本田透氏の「おとボク」に対する考え方を、「おとボク」に正しく「とろけている」プレイヤーのそれと対比し、本田透氏が「おとボク」に正しく「とろけ」られていないことを明らかにしつつ、「おとボク」そのものの萌え構造の特殊性について、その一端をさらに明確化していきます。 「プレイヤーが萌えキャラになる」過程を振り返る +私がうっかり本田透氏の名前を出したのがいけなかったのでしょうが、「主人公に同化したプレイヤー自らが萌えキャラとなる」という言葉の意味を取り違えられるといけませんので、補足しておきます。あるいはここが、第二章/第四節のコラムで述べている「乙女回路の内蔵」方法を変えてしまうひとつの分岐点になっているかも知れません。 私が言う「主人公に同化したプレイヤー自らが萌えキャラとなる」という言葉の意味は、第二章/第二節の“「エルダーシスター制度」の魔法”の項をお読みいただければ何となくおわかりいただけると思うのですが、はっきり言うと「主人公に同化したプレイヤー自らが、まわりの女性から『萌えキャラ』として意識されている、と自らが感じられること」です。これは決して「自分に萌えている」わけではありません。主人公に感情移入したプレイヤーは、《主体》的に萌えているのではなく、まわりの学院生たちから《客体》的に「萌え」の対象として見られている、すなわち「自分が萌えられている」のです。 これは、第二章/第一節から第二章/第二節にかけて述べた萌えの過程を振り返ればわかります。この作品に正しく「とろけ」るためには、主人公に萌えつつ感情移入したのち、“「エルダーシスター制度」の魔法”を体験する必要があるのです。そして、“「エルダーシスター制度」の魔法”を体験する時点までには、あくまでも心は「男性」であるにもかかわらず、宮小路瑞穂の振る舞いはすっかり「女性」としてのそれになってしまっています。そのために、“「エルダーシスター制度」の魔法”を体験する時点では、すでに瑞穂が「女装っ子」である、という設定はもはやどうでもよくなって(=忘れ去られて)しまいます。そしてプレイヤーの瑞穂への感情は一般的な「女装っ子萌え」の範疇を飛び越え、純粋に「お姉さま萌え」になってしまっています(瑞穂の性別について、某所作品別スレで「お姉さまの性別は『男』でも『女』でもなく『お姉さま』」と言われる主要因は、まさにここにあります)。そして、驚くことに、“「エルダーシスター制度」の魔法”は、プレイヤーに対して、この先は「お姉さま萌え」では済まない、あなたこそが「萌えキャラ」として行動すべき人である、と宣言してしまいます。 「萌えキャラ」として行動するとき、「俺萌え」している暇はない +本田透氏は「俺萌え」という用語を、プレイヤーが自分自身に萌える、という意味で使っているようです。しかし、上に述べたような観点から考えるとどうでしょう。もはやプレイヤーが自分に萌えている暇などありません。自分が「萌えキャラ」として、どのように「自分が《理想の女性》として、いかにまわりを取り囲んでいる女性たちを萎えさせない行動をするか」ということを考えさせられざるを得ない、ということになります。しかも、基本的に、男性であるプレイヤーにとって、自分がまわりから《理想の女性》であると認識されること自体が「想像不可能」です*1。 もう一つ言えば、「俺萌え」という言葉は、主人公を「自己の分身と見立てて」感情移入する、というニュアンスで語られているようですが、実はこれは結局自分が「第三者視点から主人公に萌えている」ことに他なりません。すなわち、補遺・その3にある図の左側と何ら変わることはありません。「おとボク」においては、「主人公萌え」する段階において、「主人公以外の男性キャラ」に「まりや」および/または「紫苑」をアサインすることが可能である、ということを思い出してみてください*2。 このように見ていくと、本田透氏の理論が、いかに「おとボク」というゲーム作品への本来の「萌え」と異なる構造を持っているのか、ということがおわかりいただけるかと思います。 「俺萌え」した結果と、“「エルダーシスター制度」の魔法”にかかった結果と +これは断言できるわけではありませんが、ここで「俺萌え」となった人は、やはり「自分が萌えキャラと同化する」ことに「意味」を感じ、渡良瀬準などの「萌え女装キャラ」へと突き進んでいったのではないか、と思われます。しかも渡良瀬準は少なくともおおもとのゲーム本編では「サブキャラ」であり、感情移入先としてはこれ以上の存在はない、という立ち位置にいます。しかし、瑞穂の立ち位置は、明らかに彼(女?)らとは違う場所にあります。本来、感情移入先としては成り立ちにくい「主人公」であり、かつ“「エルダーシスター制度」の魔法”適用後は特に「想像不可能」な《理想の女性》エルダーシスターとしての立場です。それゆえ、プレイヤーは「安心できないまま」次のフェーズにはいっていきます。それゆえに、この物語を正しく楽しんできたプレイヤーにとっては、このあとの展開の中で、どうしようもなく大きなインパクトが与えられていくことになるのです。そして、内蔵される「乙女回路」自体も、おそらく本田透氏の想像など遥かに超えて、きわめて本格的で、しっかりしたものになっていくのです。 (最終更新日:2008-04-23 (水) 10:23:56.) |
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