「おとボク」の萌え構造 >> 3. 第三章 >> 3-1. 第一節 複雑な萌え構造ゆえに……「出口」の工夫と限界 +「おとポク」という作品は、プレイヤーを最小限の「入口」へと巧みに誘導し、「美少女ゲーム」としては他に類を見ない、深い「萌え」へとプレイヤーを誘っていきました。では「出口」の側はどうなのでしょうか。「おとボク萌え」からの「出口」側について検証していきます。
「特異性」の先にあるもの +『処女はお姉さまに恋してる』における萌え(=とろけ)からの出口を探る前に、もう一度その萌え構造の特異性について復習しておきましょう。 第一に、このゲームに「とろけ」たプレイヤーは、基本的に「第三者的立場」、すなわち「俯瞰的」にプレイしているのではなく、「当事者的立場」、いわば主人公と同じ視点でプレイしていること。しかも、隔離された舞台設定により、いったん「出口」がない状態に置かれること。 ――さて、以上のような条件が重なっている上に、人によってはえっちシーンでの主人公のCGや所作にも萌えてしまう、というダメ押しの効果も加わった結果、この作品の決して少なくない数のプレイヤーが、えっちシーンを“おかず”に「射精」するどころか、むしろ「相手を汚す行為」としてそれを意識から遠ざけてしまう(「毒気を抜かれてしまう」「神聖な気がして……」)ことになりました。 『処女はお姉さまに恋してる』においては、その萌え構造の「特異性」の先に、通常のエロゲーのような、えっちシーンで「射精」することを萌えからの「出口」にする、という構造が取り払われている(※例外はあるが、これにはまた別の要因が絡んで結局「出口」になっていません。これはこの節の中で後述します)、という大変な「特異性」があるのです。「エロゲー」であって「エロゲー」でない、あるいは《エロゲとかいう概念の軽く斜め上》を行く、というこのゲームへの評価は、このような「特異性」があってこそのものである、ということができるのです。 数少ない「出口」より――「エンドロール後」の功罪 +さて、『処女はお姉さまに恋してる』において、エロが萌えからの「出口」にならない、とすると、あとはどうにかして「興醒まし」するしかなくなってしまいます。そのためこの作品では、ふたつの工夫が凝らされています。ひとつは「えっちシーン」に他の登場人物を「聞き耳を立てていた」というかたちで登場させる、というもの。もうひとつは、「エンドロール後」にミニストーリーを準備して、その役目を果たさせる、というものです。
……といった具合になります。しかし、これ自体は「出口」としての役割、というより、「関係性」のひとつの表出方法、といったほうが妥当かも知れません。たとえば、紫苑ルートにおいては、「聞き耳」を立てる側が「不要な混乱を防ぐ」という「目的」も併せ持っていますし、由佳里ルートにおいては主人公とヒロインとの関係を温かく見守る、という構図が成立しています。そして、「えっちシーン」にこれら「主人公xヒロイン」以外の「関係性」を持ち込むことで、作者が狙ったと思われる「出口への誘導」は、かえって作品世界の暖かさと登場人物同士の「強い絆」の存在を、すなわちその「特異性」をこそ強調する、という方向に働くことになりました。
……といった具合になります。この結果、「エンドロール後」に他のヒロインが活躍する「紫苑」「奏」「まりや」の各ルートにおいては、この「興醒まし」がまずは狙い通りの効果をあげ、「出口」として成立しています(特に奏ルートのまりやの役割は出色)。しかしその一方で、他のヒロインが登場しない「貴子」「由佳里」の各ルートにおいては、この「エンドロール後」が人によっては「興醒まし」になるどころか、むしろそのヒロインへの「萌え」を助長させ、プレイヤーの中で作品が「完結しない」状態、すなわち、作者が「出口」として用意したものがかえって「迷宮への入り口」として機能してしまう、という皮肉な現象が起きていることになります。 これらのことから、『処女はお姉さまに恋してる』においては、通常のエロゲーのフレームにおける「出口」の“機能不全”に加え、別に設定した「出口」も完全に機能しない、という状況になっていることがわかります。さて、出口を見つけられないプレイヤーたちは、いったいどこに向かうのでしょうか? 同人誌に助けを求めても――「おとボク」が意識する“傷つける性”と18禁同人誌との関係 +萌えからの「出口」を失った「おとボク」のプレイヤーたちは、数少ない同人誌に「出口」を求めていくことになるのですが、そこにはエロゲーでありながら、同人系にエロを含んだものが圧倒的に少ないという厳然たる事実があります。その理由と、例外について追っていくことにしましょう。 その理由は、“傷つける性”というキーワードで説明することができます。 『処女はお姉さまに恋してる』では、プレイヤーに「身体的な」女性化を推奨していませんので、美少女漫画のような「女性中心の価値観」の存在は否定せざるを得ませんが、“傷つける性”としての男性、という部分については、多くのルートでスポットが当たっています。 しかし、一子ルート(救済ルート)と、貴子ルートに関しては別です。瑞穂のために“奉仕”する感のある一子、恋に恋する乙女として“所有−被所有”の関係を求めてしまう貴子。これらについては、「エロゲー」のフレームである「男性中心の価値観」が厳然として存在しています。 翻って、「おとボク」のえっちシーン絵のある同人誌(=SS系は除く)を拾い上げてみましょう。
――なんと、マスターうー氏の“「瑞穂+一子」の合体もの”が一作品、それ以外のえっちシーンはすべて「瑞穂x貴子」の組み合わせです。これは何を意味しているのでしょうか? 高島一子は、物語の中にも出てきた「憑依」シーンを通して、瑞穂“お姉さま”の「身体的女性化」を実現するために都合のいいキャラクターである、ということができます。ただ、これ自体が「出口」になり得ないことは、あくまでも「女性」として達してしまう、ということから明らかです。一方、厳島貴子がこれだけ多く登場するのは、そのシンボリックな“ツンデレ”テンプレートに近いキャラクター設定と、「男性中心の価値観」の色濃さとにより、一般的なエロゲーキャラとして、誰でも(部外者も含めて)容易にえっちシーン描写の対象にすることができる、というところがその最大の要因であると思われます。そして、これはあの“エンドロール後”で“消化不良”を起こしたそこそこ多くのプレイヤーにとって、「出口」としての役割を立派に果たしているのではないか、とも推測されます。 それに対して貴子・一子以外のキャラでは、男女関係が対等(かつ男の側がいじられる)だったり、精神的な結びつきが非常に強かったり、“傷つける性”に触れざるを得なかったりすることで、少なくともそれらをきちんと消化しない限り、えっちシーンありの同人誌を作ることができない、という高い壁が存在しています。特に由佳里ルートについては、貴子ルートと同様の“消化不良”を起こしているプレイヤーが多いはずなのですが、“ネタキャラ”扱いされていること、“傷つける性”の問題が一番重くのしかかってくるルートであることから、えっちシーン絵のある同人誌の題材としては、最も難しくなってしまっているようです。このあたりに、ニーズはむしろ高く、オンリーイベントも三度の開催となる「おとボク」の同人誌に、18禁ものが“極端に”少ない理由が見えてくるように思えます。 ……このような理由をもって、「出口」を探して「おとボク時空」を漂い続けるプレイヤーたちは、その主人公を除いた最萌えキャラが厳島貴子以外である場合、結局出口を見つけることができない、ということになってしまうわけです。 最後に、その他の同人誌の傾向と「出口」としての貢献の程度について、簡単に触れておきましょう。 SS=ショートストーリーまたはサイドストーリー=のほうでは、「まりやx瑞穂」をはじめとするエロ(甘甘)SSが多数存在しますが、これらはむしろ「甘甘」である(すなわち本編のえっちシーン同様、「攻略=征服」という状況からはほど遠い)ことに加え、この順序が示すとおりの「攻めx受け」関係が成立することが影響して、「おとボク時空」をさらに漂い続けることには貢献しても、「出口」としての役割はほとんど果たし得ていない、と言わざるを得ない状況です。 [コラム]女性視点の多用――「おとボク」二次創作・もうひとつの特徴 +ここで、「おとボク」の二次創作にあるもうひとつの大きな特徴について述べておきます。 『処女はお姉さまに恋してる』のノベライズものには、一貫して女性(貴子)視点で描かれた作品(JIVE刊のキャラクターノベル)があります。エロゲー原作であるなら、部分的には許されても、全編が女性視点、というのは普通ではあり得ないことです。しかも、原作をプレイした人たちに、この貴子視点小説は、おおむね好評を得ています。これはなぜなのでしょうか? それを解明するために、「おとボク」のストーリー構造を振り返ってみましょう。この作品は、その大変よく考えられた萌え構造のために、話が共通ルートから個別ルートに進むに従ってヒロインの内面を描く場面の割合が増え、ルートによっては最終話の半分以上が“緑色のフレーム”、すなわち主人公以外の視点で描かれることもあるほどです。その中でプレイヤーは、ヒロイン視点の獲得へと自然のうちに導かれていきます。 このストーリー構造は、その二次創作にも、大きな影響を与えることになりました。すなわち、ヒロイン視点の獲得を「前提」とした作品の出現です。さきほどあげたノベライズは、そのことを前提とした“二次創作”のひとつとして捉えることができます。これは、エロゲーのノベライズの常識を覆すことになり、商業ものとしてはひとつの「賭け」であるといえます。正直なところ、原作をプレイしていない人がいきなりこの世界にすんなりはいり込んでいくことはかなり難しいと言わざるを得ません。しかし、原作をプレイした人たちから好評を得た、ということは、この作品が、その意図するところをうまく表現することに成功した、ということに他なりません。 さらに、シナリオライター自身が二次創作として発表した『櫻の園のエトワール』も、本編のヒロインの後輩たちの視点を中心に構成され、完全に女性視点で話が展開していきます。これは、シナリオライター自身が、この「ヒロイン視点の獲得」を「意図して」作品に組み込んだことの端的な証明と言えましょう。 このような経緯もあって、一般の二次創作にも「女性視点」のものが数多く見られます。本来のところ女性向けの作品でならまだしも、「エロゲー」としては実にらしからぬ展開であり、これもまたこの作品(の二次創作)独特の世界と言うことができるでしょう。 そして、それは当然、この作品の今後の展開(実現が決定している「アニメ化」や、今後の実現が期待される「コミック化=アンソロジーを含む=」など)でも当然考慮されるべきものでありましょう。特にアニメ化作品においては、もともと「第三者的視点で俯瞰する」作品世界が当たり前になっている現状を、世界観・雰囲気の重視はもとより、意識した上でのヒロイン視点の多用を通して、うまく萌えの対象をまず主人公に向けさせる工夫で打破していく必要があるでしょう。 【もっと理解を深めるために】
(最終更新日:2009-09-26 (土) 16:08:15.) |
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