「おとボク」の萌え構造 >> 2. 第二章 >> 2-3. 第三節

 

関門その3:「他者性」を意識しつつヒロインに萌えられるか? +

 “お嬢さま学校”の雰囲気に浸り、主人公に感情移入し「萌え」たプレイヤーは、次なる「未知の世界」へと歩んでいくことになります。それは、普通に「美少女ゲーム」をプレイしていたのでは決してたどり着けることのない、まったく新たな境地です。それはいったい、どんなものなのでしょうか?

主人公とヒロインとの「関係性」においてヒロインに萌える +

 さて、ここまでの「萌え」過程を復習しておきましょう。

(1) まずプレイヤーは、男性的な部分を持つ二人のヒロインに導かれて、“お嬢さま学校”の世界観になじむ。その過程で、彼女たち(=腹黒コンビ)にいじられる主人公のリアクションに「萌え」る。
(2) (1)と並行して感情移入先を探すが、同性キャラクターが端役を除いて主人公しかいないため、主人公に感情移入せざるを得ない。ここでプレイヤーは「第三者的な立場」ではいられなくなる。
(3) 主人公に感情移入した先に「エルダーシスターの魔法」があり、得も言われぬ快感を覚える。

 実は、ここまでの「萌え」過程をすべてクリアしたプレイヤーは、すでに「とろけ気味」もしくは「とろけ」状態になってしまうわけですが、体験版段階の終わりを境に、徐々に主人公の「お姉さま」としての振る舞いが目立つようになっていきます。そしてここから、プレイヤーにとってはいよいよヒロインへの深い「萌え」を獲得する段階へとはいっていきます。

 プレイヤーが主人公に「萌え」つつ感情移入し、同化していくとき、ヒロインに対する接し方も当然変わってこなければなりません。通常の美少女ゲームであれば、「俯瞰的な立場」から、主人公の言動に対するヒロインのリアクションに「萌え」ていればよかったわけですが、主人公に感情移入している前提からすると、そんなに気楽に構えているわけにはいかないのです。

 この作品では、異質な世界に放り込まれ、容姿端麗、「お姉さま」として振る舞いながらも、考え方の根っこは男性そのものである「主人公」が、「女の中に男がひとり」なのですから、それはもうどうしようもなく、ヒロインたちに対して「他者性」を意識しつつ接していくことになります。それは、わかりやすく言うなら、もう「ドキドキの連続」です。一歩間違えて「男バレ」などしようものならとんでもないことになってしまう、という現実を突きつけられていますから、一瞬たりとも気を抜くわけにはいかず、常に真剣勝負です。この状態においてヒロインたちは、無理に「プレイヤーを意識した」オーバーなリアクションを取る必要などありません。そこでは、主人公視点を獲得したプレイヤーが、日常の会話のやりとりから滲み出るヒロインの内面に「萌え」ていく、という滅多にない経験をすることになります。これが「関係性」においてヒロインに萌える、ということの正体です。これこそが、「おとボク」が持つ疑似恋愛過程の「リアリティ」(=現実にあるかないか、というレベルの話ではなく、ヒロインとの絆を深める過程に作為性が感じられない、ということ)の源であり、また深い「萌え」を実現するための重要な要素なのです。その上でさらにイベントやハプニングでのリアクションが加わるとするならば……それは間違いなく猛烈な《超絶萌破壊力》を伴うことになるのです。

 ところで、第一節に、『処女はお姉さまに恋してる』という話は、《徹底的に「自然に」『ご都合主義』して》いる、と書きました。ではなぜ、そんな話をたどっていて「リアリティ」が感じられるのでしょうか? それは、テキストが「主人公とヒロイン」(「ヒロイン同士」も含めて=詳しくは次の節に書きます)との「関係性」や、それぞれの感情の変化を実に丁寧にあぶり出すように書かれているからにほかなりません。そして、テキストはさらに、主人公とヒロインとがそれぞれに自分にとってのふれあいの価値(意味)を見いだし、その精神を成長させていく、そこまでを丹念に追っていきます。この丁寧な仕事があってこそ、「おとボク」が「おとボク」たり得ている、と言えるのではないでしょうか。 

[コラム]なぜ? 「まりやに萌えられない」人たち +

 さて、Webなどでこの作品の感想を見ていくとき、ちょっと気になることがひとつあります。それは、同学年組の十条紫苑、厳島貴子に比べて、御門まりやに萌えられない人がかなり多い、という事実です。これはなぜ生じるのでしょうか?

御門まりや立ち絵

 ポイントは二つあります。
 一つめは、主人公に感情移入するための「踏み台」(ましな言い方としては「メガネくん」でしょうか)としての立場にあります。まりやは主要なガイド役として、主人公ならびにプレイヤーが「お嬢さま学校」の雰囲気にとけ込んでいく際の「説明員」の役を引き受けています。その上で、第一話段階での“あの”えっちシーン(PS2版しかプレイしていない人には申し訳ありませんが……)を代表格とする「主人公いじり」を通して、プレイヤーを“主人公萌え”に誘導する重要な役割を果たしています。このような立場は、一般には主人公と同性(すなわち男性)のサブキャラが務めることが普通ですが、前々節ならびに前節にて述べたように、初期段階ではむしろプレイヤーを“主人公萌え”へと誘導する必要性から、この作品ではあえてヒロインをこの役に“利用”したところに一つめのポイントがあります。
 二つめは、ストーリー設定に起因する問題です。前章の中で、御門まりやのストーリー設定が《幼なじみ同士に典型的な「恋愛対象としての意識の欠如」にかかる問題担当》である、と述べましたが、この「恋愛対象としての意識の欠如」という命題が、さらにまりやへの萌えを発動しにくくする強い動機付けとして働くことになってしまいました。主人公萌えし、主人公に同化しているプレイヤーにとって、「恋愛対象としての意識が欠如」している対象である御門まりやなるヒロインは、主人公からの見た目と同様、「恋愛対象になりにくい」キャラクターになってしまうわけです。

 では、逆に御門まりやに萌えられる人は、どういう理由で彼女に「萌え」るのでしょうか?
 まずは女性の視点で見ていきましょう。御門まりやは、実はこの作品の女性ファンからは高い支持を得ています。これは、その「男性的な性格」と、ファッションなどから窺える「女性的な感性」とが融合したキャラクターであることが主要な理由です。この組み合わせは、女性にとっては「カッコイイ」存在として認識されやすいのです。
 続いて男性の視点から見ると、ふたつの理由が考えられます。ひとつは、女性を「対等なパートナー」として見ることに抵抗がない人たち。この人たちは、まりやルート・第六話以降のまりやと瑞穂の関係を微笑ましく思い、「萌え」ることができます。もうひとつは、「主人公いじり(キャラ)」が「萌え属性」である人、すなわち主人公いじりをするキャラを面白がり、そこから惹かれていく人たちです。いずれにせよ、少数派であることに間違いはありませんが、「関係性」を強く意識している、という点では共通しており、御門まりやに萌えられるプレイヤーは、この物語の萌え構造をすんなりと受け入れられているのではないか、という気がします。

夏休み以降のストーリーについていけない人は…… +

 夏休み以降のストーリーがどうも……という人は、それなりに多く見られました。要因は二種類あるようですので、それぞれについて簡単にまとめておきます。

(1)ストーリー展開がダメだった、という方
 設定も気に入った(あるいは問題なかった)し、主人公にも萌えられた、でもやっぱりストーリーが……という方は、やはり「エロゲー」としてのフレームにこだわってプレイされた方なのでしょう。主人公に「萌え」ることはできたが、主人公視点になれなかった、すなわち「俯瞰的な位置」からしかストーリー展開を楽しめない人たちにとっては、ヒロインに対して「他者性」を意識することができませんし、「エロゲーはストーリー展開に意外性がないと」あるいは「伏線張りとその回収のうまさがないと」と思っている人たちにとっては、このゲームのむしろ意外性が排除されたストーリー展開や、伏線回収の弱さ(特に貴子ルート、紫苑ルートにおいて)について、「もっと修羅場があるべきだった」などと語られる方も少なくありません。いままでの記述内容からお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、この物語は、実は「意外性」を求めたところがまったくなく、すべて「必要性」から考えられ、構成されています。それゆえ、作る側の意図を分かってプレイできなかったこれらの方々は、このゲームをたいていは「微妙」、よくても「普通(凡作)」と評価することになります。

(2)「女装萌え」に合ったイベントがないことに失望、という方
 前節に書いたとおり、夏休み以降のストーリーには、いわゆる「女装っ子萌え」の人たちにとって嬉しいイベントが「ひとつも存在しません」。「エルダーシスター」としての振る舞いが堂に入ってしまった主人公は、もはや「女装っ子」の域を超えて、「お姉さま」という「女性」として学院生活を送ることになりますし、第七話以降の男バレや、奏ルートのストーリーなど、彼らにとってはまさに「悪夢」です。そして主人公受けのえっちシーンは第三話以降には存在しませんし、ましてや主人公ふたなり化または女性化、などという“超展開”も存在しません。このようなことから不満をくすぶらせている人も中にはいるようですが、そういう方々は、残念ながらこのゲームの「目的」を取り違えてしまった、といえるのかも知れません。ただ、こういった人たちにとっては、自分の希望にあったSSを書くことなどで、気持ちを晴らすことは可能ではありますが。


 【もっと理解を深めるために】

 

(最終更新日:2009-09-26 (土) 15:51:40.)



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