「おとボク」の萌え構造 >> 2. 第二章 >> 2-4. 第四節

 

関門その4:キャラと作品世界にどこまでのめりこめるか? +

 主人公との「関係性」を意識しつつヒロインに萌えたプレイヤーは、この物語が構造的に持つひとつの特性を用いて、さらなる「萌え」を獲得することができます。しかもこれは、女性オタクはたやすく手に入れることができても、男性オタクにとっては、よほど意識しないと普段からは手に入れられない、特別な「萌え」でもあるのです。
 それは、どんな「萌え」なのでしょうか? そして、それを獲得したとき、この物語のストーリーは、プレイヤーにとってどのようなものになるのでしょうか?

ヒロイン同士の「関係性」において他のヒロインに萌える +

 『処女はお姉さまに恋してる』では、個別ルートにはいっても、攻略対象ヒロインだけでなく、他のヒロインが活躍して、話をより盛り上げる、という特徴を持っています。そしてこれが、この物語における「萌え」の最終段階として、プレイヤーをさらに「おとボク時空」の奥深くへと誘うことになります。これはこの物語の世界観が「悪人のいない世界」だからこそできることであり、この物語の設定の巧みさをここからも感じ取ることができます。

高島一子立ち絵
[各ルート(第五話以降)で活躍する、攻略対象でないヒロイン]
ルート活躍する他のヒロイン
紫苑ルート「貴子」、まりや、圭、奏
貴子ルート一子、奏
まりやルート圭、一子、紫苑
奏ルート「貴子」、紫苑、一子
由佳里ルート「一子」、まりや、紫苑、奏

 上の表は、各個別ルートで重要な役割を果たす他のヒロインたちを列挙したものです。「 」内は、特に顕著な活躍をするキャラクターです。一子や貴子の出番がやたらに多いのはライターさんの思い入れの差なのかどうか……そのあたりは定かではありませんが、どのルートでも他のヒロインが話に深くはいりこんで、攻略対象ヒロインの背中を押したり、主人公に重要な決断を促したりします。特に、ヒロインが他のヒロインの背中を押す、という場面は、背中を押してくれるヒロインへの「萌え」獲得(あるいは「さらに萌え」る)のための恰好の場面です。奏ルートでの貴子や、由佳里ルートでの一子などに代表されるこれらの「関係性」は、プレイヤーが「傍観者」の立場として見ていてもそれなりの「感動」は呼びますが、前章に述べた“「視点」をはっきり意識させる演出”の助けを得て、攻略対象ヒロインの視点で見ることによってこそ、前節と同じような“さらに深い「萌え」”を獲得することが可能となります。これが「ヒロイン同士の『関係性』において他のヒロインに萌える」ことの正体です。
 ほかにも、ヒロインキャラクターの魅力を別の面から発見することができる場面が、この物語には数多く存在しています。これらがイベントシーンだけでなく、日常シーンの中にも散りばめられていることで、プレイヤーは女性としてのコミュニケーションの楽しさ、女性の心理の機微を疑似体験していきます。このことから日常シーンそのものがセクシャルなものとなり、その魅力がさらに増す、という相乗効果も見られることになります。

 ここまでのすべての関門を越えることで、プレイヤーはすぐあとで触れる「乙女回路の内蔵」を実現したり、さらには「この時空から抜け出したくない」という思いを持つことになっていきます。プレイヤーが4つの関門を少しでも越えやすくなるように留意しながら、手順を追って、じっくりと時間をかけて、ここに至らしめるこの物語の構成は、まさにモチーフとなった『マリア様がみてる』と「エロゲーのフレーム」との“いいとこどり”を地道に実現していった結果です。そして、これこそが、このゲームの「総合力」の結実である、ということができるでしょう。

[コラム]「乙女回路の内蔵」に最適な「おとボク」 +

 『処女はお姉さまに恋してる』という作品は、本田透氏がいうところの「乙女回路を内蔵する」にはもってこいの構造を持っています。しかも、そのルートも二種類存在します。それらについて、順次解説していくことにしましょう。

「お姉さま」を「女の子」として受容して「萌え」る +

 主人公の宮小路瑞穂は、その外見、および途中からは振る舞いもが「どう見ても女の子にしか見えない」キャラクターとして描かれていきます。この主人公に対して、「女の子」として受け入れ、「萌え」ることができれば、これだけで(擬似的にではありますが)「乙女回路の内蔵」を実現することができます。ただし、実際にこのルートを通った人たちは、漏れなく同時に取得した「女装っ子萌え」属性のほうが強い属性となって、続いて「はぴねす!」の渡良瀬準というキャラクターへと殺到していくことになりました。いわゆる「こんな可愛い子が女の子のはずがない!」というパターンです。
 ただし、これは「おとボク」を楽しむための必須条件ではありません。宮小路瑞穂に対しては、「男(漢)だからこそいい!」という「萌え」方も存在しており、むしろその方が「orz」シーンに“正しく”「萌え」られるはずです。これが、この主人公においては「萌え」に関する受容の幅が広い、ということの理由にもなります。

関門その4までを正しくクリアする +

 これこそが正当な「乙女回路の内蔵」方法です。
 この作品では、日常シーンからして、登場人物の触れ合いとそれに伴う心情の変化が非常に丁寧に描写されていることと、「主人公以外の視点での展開」を明示する仕掛けの存在により、ヒロインへの感情移入をすんなりと行うことができます。その上、普段からの主人公xヒロイン(場合によってはヒロインxヒロイン)の「関係性」のせいで、日常シーンでもセクシャルに感じられる部分が多く、そのため「抜く」こと抜きに「乙女回路の内蔵」を実現することが可能となっています。これもまた「おとボク」が「マリみて」的世界を「エロゲー」のフレーム上で大変上手に表現したからこそできたことであり、この作品が「エロゲー」における「萌え」の世界に与えたひとつの大きなインパクトである、ということができるでしょう。そして、その結果として、第一章の最後に触れた「カップリング萌え」なども自然に受け入れられるようになる、というわけなのです。

「強い絆」と「確かな想い」、暖かい作品世界を心地よく漂う +

 さて、いよいよ待望の「結ばれる」シーンです。しかし……。

 ここに至るまでの過程で、通常では考えられないことがいくつも起こっています。

 まず、同性である主人公に「萌え」ていることで、プレイヤー自身が作品の「萌え」世界において邪魔者になるどころか、むしろそこに「溶け込む」ことが許される、いや積極的に奨励されます。
 次に、作品内で展開される「人と人との温かいつながり」をしっかりと感じ、ヒロイン同士の「関係性」を通しても「萌え」ることができるようになると、日常シーンもが愛おしいものに感じられるようになり、作品世界をひたすら漂うことが非常に心地よいものとなります。
 そしていよいよえっちシーンとなるわけですが、プレイヤーは“攻略対象”ヒロインと、その「他者性」=「関係性」を通してキャラ萌えしています。第三者的視点で離れたところからそのシーンを見ているわけではなく、当事者視点ですぐそばにヒロインがいる状態を擬似的に作られ、その過程で「強い絆」を築いているわけです。その上で、えっちシーンの導入部(キャラによっては最後まで!)に流れる曲は「確かな想い」。ピアノを中心に、ハープや弦楽などが絡む楽曲ですが、ピアノのタッチはむしろ力強いものです。そして、ここに至ってプレイヤーははじめて、このゲームにおいては、ヒロインを“攻略”するのが目的なのではなく、ヒロインとの触れ合いを通して「強い絆」を築き、「確かな想い」を共有することこそが目的なのだ、と思い知ることになるのです。

 言い換えれば、これは本来「エロゲー」というフォーマットにおいては「目的」であるはずの「えっち」自体が「手段」と化していることを意味します。「萌え」世界に溶け込んだ上で、ヒロインとの「強い絆」を築き、「確かな想い」を共有することで、プレイヤーは精神的に「浄化」されてしまい、通常の「エロゲーのえっちシーン」ではあり得るはずのない「免罪」を許されてしまいます。「ありえない」設定が「ありえない」結語へと昇華する瞬間です。「自分が穢れた存在であるかのように思え」るところからスタートして、最終的に「神聖な気がして……」「毒気を抜かれてしまう」ところに至るこの作品の「萌え」過程は、いままでの「えっちゲーム」では味わうことができなかったものであり、まさにこのゲームの最大の「特徴」である、ということができるでしょう。

 そしてもう一つ、ここで触れておきたいことがあります。この作品においては、その「萌え」世界に溶け込み、「関係性」を通してキャラ萌えした上で、えっちシーンでの「気づき」……という過程を経て、このゲームにどっぷりと「はまり」、「とろけきった」状態に至ったプレイヤーがたくさん出現しました。これらのプレイヤーたちは、やがて全ルートをクリアしても、「おとボク時空」の大変心地よい暖かさに心底惚れ、この世界から抜け出したくない、と思うようになるのです。まさにこれこそが、この作品の持つ「中毒性」の正体なのです。

このロジックについていけない人は…… +

 最後に、数は少なかったのですが、ここまで来てこの作品の核心に触れることが出来なかった人たちを、二つのパターンに分けて説明していきましょう。

 一つめは、ヒロイン同士の「関係性」を通して他のヒロインに萌えられなかった人たちです。これらの方々は、ヒロインへの視点移動や感情移入について、

  • 苦手である

か、または

  • ポリシーとして「しない」

方々かと思われますが、かなりもったいない気がします。

 二つめは、作品世界をひたすら漂うことを拒絶した人たちです。これらの方々は基本的に、

  • 「えっちシーン」こそ「エロゲー」の最重要項目である、と考える「えっちシーン原理主義者」

か、または

  • お目当てのヒロインしか攻略しない「攻略原理主義者」

のどちらかと思われますが、「エロゲー」のフォーマットを使って、「エロゲー」の枠を超える世界を演出したこの作品に対して、そのことを素直に受け止められなかったプレイヤーの皆さんは、結局「主人公に萌えられなかった」方と何ら変わりなかった、と言えるのかも知れません。


 【もっと理解を深めるために】

 

(最終更新日:2009-09-26 (土) 15:57:06.)



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