「おとボク」の萌え構造 >> 1. 第一章 >> 1-4. 第四節 「おとボク」が獲得した萌え構造の深度 +「主人公視点」の獲得――プレイヤーが「お姉さま」になれるという「奇蹟」 +「乙女の園」である女子校への“憧れ”。「萌え」系、特に「学園もの」の美少女ゲームを好んでプレイする層の中には、それを強く抱いている人も多いのではないか、と思われます。第二節で述べたように、女子校が登場する美少女ゲームがかなりの数存在することが、そのことを如実に物語っています。ただ、そんな数多くのゲームの中で、『処女はお姉さまに恋してる』には他のゲームと大きく差別化できる要因がひとつあります。それは、他のゲームが第三者視点で女子校での生活を「俯瞰」するにとどまっているのに対し、第二節で述べたような設定のもとに、プレイヤーが主人公(当事者)の視点を通して「お姉さま」になれる、そして女学院の雰囲気を疑似「体験」できる、という点です。 第三者視点と、当事者視点とでは、プレイヤーの意識も当然大きく異なります。第三者視点でプレイするプレイヤーを相手にするのであれば、イベントやハプニングを豊富に準備し、キャラクターの魅力も「押しつけ」に近い発揮のさせ方が必要となりますが、当事者視点でのプレイを想定するならば、そこまでの「力の入れ方」は必要ない、というよりむしろ邪魔になりかねません。この作品では、プレイヤーが当事者視点を十分に確保する(と思われる)までの間は、第三者視点でプレイするゲームに準じた作り方がなされていますが、プレイヤーが当事者視点でプレイすることを想定した中盤以降は、むしろイベントやハプニングはせいぜい一話に一〜二回程度に抑えられています。 プレイヤーが「お姉さま」として、「他のヒロイン」たちと「理想のお嬢さま学校」での生活疑似体験を気持ちよく存分に楽しめるためには、細かいところにまで気配りを行き届かせた「丁寧な作り」こそが必要となります。『処女はお姉さまに恋してる』は、ベースとなるシナリオの上に前節(第三節)で述べたような「舞台装置」を上手に積み重ねて、それをきちんと実現しています。そのため、このゲームをプレイすることによって、このゲームが求める「レール」の上に正しく載ったプレイヤーは、まわりから「キャーッ!」という黄色い歓声を浴びる「よろこび」を手にします。そして、自らが表向きには「お姉さま」として振る舞いつつ、従来の美少女ゲームでは味わうことが出来なかった「新たな境地」へと「必然的に」足を踏み入れていくことができるわけです。 このゲームが持つ独特の「世界観」「雰囲気」。そして主人公「萌え」を伴う主人公視点の獲得。これらに慣れることができない、あるいは獲得することができないプレイヤーにとっては、「いったいどこが面白いの?」「第一話が一番面白くて、あとは……」となってしまう「構造」を持ったこのゲーム。しかし、独特の「世界観」「雰囲気」にとけ込み、主人公に「萌え」て主人公視点を獲得したプレイヤーにとっては、このゲームはまさに《夢想の実現を確信》させる「奇蹟の存在」となるのです。ある意味極端な「分岐」ではありますが、このような「分岐」があるからこその面白さがそこには存在している、という言い方もできるのではないでしょうか。 ……そして、その「極端な分岐」の先には、さらに「極端な萌え」が待つことになります。 ヒロインへの感情移入も「深く」――確固たる「萌え」の実現 +通常の美少女ゲームは、前節で述べたような「イベントやハプニングを多数用意」し、これでもかとばかりにキャラクターの魅力を前面に押し出して「ヒロイン萌え」を演出してきます。そして、キャラクターの魅力をプレイヤーに知らしめる一番の武器は「見た目」の「かわいさ/綺麗さ/美しさ」およびその属性の「わかりやすさ」です。美少女ゲームでは「原画に魅力がないとダメ」と言われるのは主にそのため(一部そうでなくてもヒットしたもの*1はありますが)であり、見た目で萌えを獲得できれば「勝ち」というのは、『ToHeart 2』や『夜明け前より瑠璃色な』の例を持ち出すまでもなく、揺らぎようのない事実です。それに、キャラクター造形(設定)についても、最近話題の「ツンデレ」をはじめ、「幼なじみ」「ロリ」「妹/お姉さま」「不思議系」といった属性には、典型的(シンボリック=パターン化された、と言ってもいいでしょう)な設定が非常によく見られます。無理に特異な設定をせず、「ああ、このタイプのキャラだな」とプレイヤーが「安心して萌え」られるように「配慮」している、ということになりましょう。 ところが、『処女はお姉さまに恋してる』では、見た目でのキャラ萌えは(主人公を除けば)表面上「ツンデレ」「ロリ」である一部キャラクターに限定され、シンボリックなキャラクター設定はむしろ避けられています。しかし、それでもこのゲームにとろけているプレイヤーたちには、むしろ通常の美少女ゲームのキャラクター以上に、この作品のキャラクターに「萌え」ているケースが見受けられます。それはいったいなぜなのでしょうか。 ヒントは「主人公萌え」にあります。主人公に萌え、主人公の視点を獲得した(=主人公に感情移入した)プレイヤーたちは、主人公視点において、「ヒロインたちとの『直接的な』触れ合い」を「疑似体験」することになります。 「関係性」が強く意識される、というこのゲームの特徴に合わせて、ヒロインたちにおいては、シンボリックな設定は避けられ、「お嬢さま学校でなければ……」という部分を除いては、一般の美少女ゲームに比べ、かなりリアリティの感じられる(その理由は次章で詳説します)キャラクターとして描かれています*2。そして、それらの結果、よりリアルな恋愛に近いドキドキ感の中、イベントやハプニングだけでなく、日常の何気ない会話を含めた「心の触れ合い」を通して主人公がヒロインとの絆を強めていくとき、プレイヤーたちも主人公と同じように、『必然的に』ヒロインへの思いを深く、確かなものにしていくことになるわけです。まさにこれこそがこの作品の持つ《超絶萌破壊力》なのです。 このようにして大変強力かつ確固たる「萌え」を獲得したプレイヤーたちは、プレイを終わっても「ヒロインたちとの『直接的な』触れ合い」の心地よさを「余韻」というかたちで引きずることになります。このゲームの持つ独特の、かつ居心地のいい「雰囲気」「世界観」も相まって、「余韻」を長期間にわたり持続させるプレイヤーが多いのも、このゲームのプレイヤーたちに関するひとつの大きな特徴となっているのです。 [コラム]おとボクのシナリオ(ストーリー展開)って、どうよ? +『処女はお姉さまに恋してる』のシナリオ(=ストーリー展開)については、感想やレビューなどから、次のような意見が認められます。
それぞれについて、簡単に解説していくことにしましょう。 (1) は、主人公に萌えたわけではなく、あくまでも体験版段階のストーリーが面白い、という理由で製品版をプレイされた方に特徴的な意見です。「おとボク」というゲームの構成は、種々の要素がうまくバランスされたものとなっているため、ストーリー展開がある方向に際だっている、という進み方をするものではなく、最後まで徹底的にコミカルな展開に期待した方にとっては、残念な結果となったことでしょう。また、「女装っ子萌え」に期待した人たちにとっても、さぞ肩すかしされた気分であったことでしょう。 (2) は、あくまでもシナリオ(=ストーリー展開)を重視してプレイする方々に特徴的な意見です。伏線の張り方、回収のしかたが大変よく考えられていたり、先の読めない展開やどんでん返しに期待したりしてプレイされるような方にとっては、このゲームのいわば「学園ものの王道」に近いストーリー展開は、かなり不満なものであったことでしょう。ただし、十条紫苑ルートの最重要伏線については、評価する声が多かったことも事実です。 (3) は、「ツンデレ」キャラとしての厳島貴子に期待してプレイされた方の一部に特徴的な意見です。そんな方には、「ツン」部分が少なすぎたり、「デレ」部分の過激なまでのリアクションに引いてしまう方も少なくなかったようです。「おとボク」をプレイする上での「トラップ」(大いに期待してプレイしたのに期待はずれだった、という意味で、それらのプレイヤーから見ればこれは作品に仕掛けられた「罠」に思えるでしょう)にかかった、とおぼしき感想はそれなりに目にしました。しかし、その過激なまでのリアクションや、あの立ち絵に萌えてしまった、この作品で「ツンデレ」属性がついた、というプレイヤーはそれ以上に多かったようですが。 (4) は、典型的な「妹」キャラとしての周防院奏に期待してプレイされた方に特徴的な意見です。彼女が担当したのは、一般的な美少女ゲームにあるような典型的な「妹キャラ」としてのそれではなかったのですが、そこに理解が至らない人たちが、回想シーンの多さだけで「なぜ?」と反応してしまう、という事態が起こりました。これは「おとボク」最大の「トラップ」ということができ、体験版段階で「奏ちゃんに期待」したプレイヤーにおいては、製品版のプレイ後「トラップ」にかけられたことを嘆いている様子が多く見かけられました。 ※(3)(4)については、第二章の中でさらに掘り下げていきます。 (5) は、「おとボク」のシナリオを評価する人に特徴的な意見です。「おとボク」の世界観に浸り、第三話の緋紗子x詩織や各ルートでの一子との別れ、奏ルートなどに見られる「泣き」要素に反応して、涙を流しながらプレイした方も少なくはないようです。 (6) については、話の展開上、ここではなく、第三章で解説することにします。 「おとボク」というゲームにおいて、その「世界観」「雰囲気」が重要視されていることについては、ここまで読んでこられた賢明な読者の皆さんには、ある程度想像がついているものと思います。「おとボク」のストーリーは、その「世界観」「雰囲気」にふさわしい範囲で、各ヒロイン別にそれぞれのテーマをあてはめつつ、奇を衒わないものに仕上がっています。こぢんまりとまとまったストーリー展開、という表現が的を射ているといって間違いないでしょう。いままで述べてきたような主人公・ヒロインへの強く深い「萌え」の獲得のため、キャラクター設定をシンボリックな(パターン化された)ものとしなかったかわりに、バランスを取るためにストーリーをむしろ「安心してプレイできる」ものとした、というのが「おとボク」のシナリオの特徴、と言えます。各ヒロイン(「救済ルート」である一子ルートは除く)の担当ストーリーのパターンはそれぞれ:
……といった具合になります。重複を避けつつ、基本的なストーリー展開のパターンをうまく割り振っていることがおわかりいただけるかと思います。 このように、『処女はお姉さまに恋してる』という作品は、作品全体としての微妙なバランス取りに神経をかなり使ったところに成り立っています。普通なら「うわあ、ベタな展開すぎ。つまんね」で終わってしまいがちなストーリーが、「ベタでもいい!」に化けてしまう理由は、その複雑な萌え構造、ならびに作品全体としてのバランスにある、といっていいでしょう。「総合芸術」として大変よく練られ、「世界観」「雰囲気」の醸成を旨としてきちんと構成されたこと、それが「おとボク」の一番の「成功」理由である、といってもいいかも知れません。 (最終更新日:2008-03-13 (木) 13:55:04.) |
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