「おとボク」の萌え構造 >> 4. 第四章

 

今後にこの「萌え構造」をどう生かすべきか +

 第一章から第三章まで、『処女はお姉さまに恋してる』という作品の持つ複雑かつ独特な萌え構造、その結果産み出された《超絶萌破壊力》について、その入口から出口まで、一通り見てきました。では、この《超絶萌破壊力》を、今後生み出される作品にどう埋め込んでいけばいいのでしょうか。第四章では、簡単にではありますが、この命題について考察していくことにしましょう。

安易な「真似」は禁物 +

 まず、どうしても警告しておかなければならないことがあります。

 第三章までをきちんとお読みいただいた賢明な読者の皆様にはおわかりのことと思いますが、『処女はお姉さまに恋してる』は「女装だから受けた」わけではありません。「主人公の女装」、そしてその結果「主人公がどう見ても女性にしか見えない」という設定は、この物語を構成する上での「必要性」の一端を担うに過ぎません(第二章の中でで比較対象とした『はぴねす!』は女装キャラが存在することで受けた数少ない例外品、といっていいでしょう。ただ、あちらの場合は主人公ではありませんが)。また、「女学園に男が一人」だから受けたわけでもありません。そういう状況に置かれ、かつ「エルダー・シスターの魔法」まで存在しているにもかかわらず、ハーレム・ワールドには決してなっていませんし、作品のテーマも、主人公のキャラクター設定も、それを許してはいません。
 これらの例に端的に現れているように、この作品の表面的な要素だけを真似て、同じような萌えを追究しても、期待通りの効果を得ることは難しく、下手をすれば失敗に終わってしまうこともあり得ます。

 この作品の構成要素が、「雰囲気・世界観重視」という明確なベクトルのもとに、ひとつひとつジグソーパズルのピースのように上手に組み合わさり、その「萌え構造」を形作ってきたこと、そしてそれゆえにこの作品が手にした高い「総合力」の存在。これらを無視して今後の作品が参考にすべき点を語ることは不可能です。「深い萌え」は、表面上を安易になぞっただけの企画からは決して生まれてこないのです。この作品からその「萌え構造」を学び、今後の作品に活かすに当たっては、まずこのことを改めて肝に銘じておくべきでしょう。

活用すべき「萌え構造」とそこにある課題 +

 それでは、この作品の複雑な「萌え構造」、ならびに高い「総合力」を生み出した大きな要素を復習しながら、適用にあたっての課題も含めて、これらを後続作品に活かしていくための方策を、簡単にですが述べていきます。

「総合芸術」として「世界観」「雰囲気」の醸成を大切にすること +

 この作品の「総合力」が「雰囲気・世界観」の重視、という明確なベクトルから生まれたことは、いままでも何度かに渡り触れてきました。しかし、これは「総合芸術」を作りあげていくためには必須の「基本」であるにもかかわらず、しっかりできていない作品が多いのが現状なのではないでしょうか。シナリオ・原画だけでなく、音楽・声優なども含めて、適材を適所に配し、「世界観」「雰囲気」作りに務めること。「深い萌え」を与えたいと思うなら、まずはこれを徹底すべきです。「おとボク」では、それら以外にスクリプトまで動員して、「世界観」「雰囲気」をうまく出しています。

「隠す」ことなく、心地よくプレイできるような主人公のキャラクター設定 +

 主人公をいかにうまく設定して、プレイヤーに心地よくプレイしてもらうか。これもまた「美少女ゲーム」における重要な要素の一つになってきました。以前のような「存在感の希薄な」あるいは「ヘタレな」主人公ではなく、同性から見ても好感の持てる主人公の性格設定が効果を上げるようになってきています。これには綿密な設定作業が必要にはなりますが、作品の好感度を上げる方法として大変有効です。
 「おとボク」は主人公のキャラクター設定が大成功を呼び込んだ好例です。第三者的観点からの萌えにはその深さに限界が存在することも考慮するとき、迷うことなく主人公に感情移入できるゲームはもっと増えるべきでしょう。

「シンボリックな造形」を少しはずしたキャラクター設定 +

 「美少女ゲーム」(特に「エロゲー」)では、ある程度シンボリックなキャラクター造形により必要以上の「キャラ萌え」を避け、プレイヤーが安心してキャラクターを「攻略」できるよう、また「エロ」が「出口」として働くように仕向けている「構造上の制約」が存在しているように見えます。しかし、「ギャルゲー」と呼ばれる、ゲーム機用の主に12〜15歳以上対象のゲーム群が、コミック・アニメ原作もののほかには事実上「萌え系エロゲーの移植先」に成り下がってきつつあることから、すでにこの「構造上の制約」が「ギャルゲー」では「構造上の問題」になってきていること、そしてこのままでは「エロゲー」もその二の轍を踏んでしまう可能性があることが示唆されているように思われます。その点で、シンボリックなキャラ萌えに頼ることには、萌えの深さの限界点だけでなく、「美少女ゲーム」ならびにそこに登場するキャラクターを「特別な嗜好品」から「一般的な消費財」へと変えてしまう、という深い落とし穴があるように思われるのです。
 これを解決するためには、「シンボリックな造形」を少しはずしたキャラクター設定が必要になるでしょう。「おとボク」では、表面上も一部のキャラクターを除き、また実際にはすべてのキャラクターにおいて、「シンボリックなキャラ造形から少しはずれた設定」が徹底されました。またこの世界では人気のシナリオライターである丸戸史明氏も、インタビューに答えて「心がけ」としてこのことを話しています。日経キャラクター誌が「萌えキャラの歴史は萌え業界が次々と新たな萌え属性を創造してきたこと」(※趣旨)と断言するとおり、既存の属性に飽き足らないキャラクターの創造は、「美少女ゲーム」の世界を「萌え」の最前線にとどめておくために、大変重要な課題となるように思われます。

ヒロイン同士の絡みを増やすことでヒロインたちの魅力を膨らませること +

 もうひとつ、個別ルートでヒロインを他のヒロインと絡ませることにより、ヒロインたちの魅力を膨らませる手法についても、積極的に検討すべきであると思われます。登場人物同士の関係設定とストーリー展開への絡ませ方は難しいものがありますが、作品全体としての「萌え構造」をしっかりさせるには大変有効な手段となり得るものです。ただこれも現状では成功している作品の方が少なく、「攻略」一辺倒の考え方からの脱出ももう少し真剣に検討されてよいのではないかと思われるところです。

「関係性」を意識した上での「ヒロイン萌え」 +

 最後に、「おとボク」という作品に大変特徴的な《「関係性」を意識した上での「ヒロイン萌え」の誘発》についてですが、これは設定ならびに構成そのものを相当慎重かつ上手に行わなければ実現し得ないものです。「おとボク」ではギリギリのところで「萌えゲー」としての評価を得ましたが、同時に「キモイ系」である点において、「エロゲー」としての評価に否定的な考えが存在することもまた事実です。また、「おとボク」では、「エロ」が「出口」になり得なくなってしまったことを指摘しましたが、これは前に述べたような「エロゲー」そのものの存在意義が改めて問われる、という可能性をも内包しているため、細心の注意が必要になります。「深い萌え」には大変有効な手段である「関係性」の意識ですが、非常にハードルが高く、安易にまねすることが不可能な「高等技術」である、ということができましょう。
 ただし、この作品がなしえたように、この「高等技術」は実現不可能なものではありません。ぜひこのハードルを越える作品があとに続くことを期待したいところです。

 

(最終更新日:2008-03-13 (木) 13:55:04.)



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