※「1」(=前作『乙女はお姉さまに恋してる』。比較の上で『~2人のエルダー』は「2」と表記)との違い:「1」は主人公を通して乙女の園の世界そのものを体験することに主眼が置かれていたが、「2」では関係性があらかじめできあがったところに主人公が放り込まれて、その世界の中で、自らがどう乙女たちとの関係性を作り、さまざまな状況をその関係性において切り抜けていくかが主眼なので、こういう表現になった(参考:『処女はお姉さまに恋してる 2人のエルダー』について - モルガン・ル・フェイク ならびに キャラメルBOX『処女はお姉さまに恋してる 2人のエルダー』感想 - じゃあ二分後に、踏切で 註:どちらの参考文章でも強調されている「コミュニケーション」は「関係性」の源泉)。「1」のアニメ化作品ではうまく出せなかった「雰囲気・世界観」は「1」に比べてそれほど重要視されていないので、群像劇でのコミュニケーションから自然ににじみ出てくるぐらいで構わない。どちらがアニメ向きか、と言われれば、文句なしに「群像劇」に注目が集まる「2」のほう。むしろ「2」にとっては、ゲームよりもアニメの方が「本丸」である気さえする。
あくまで「RPG」ならびに「群像劇」を通して、キャラクターの魅力に「気づかせる」のであって、最初からキャラクターありき、という売り方は「厳禁」。
※コンテンツはあくまでも「従」であり、キャラクタービジネスが「主」、という考え方を完全に捨て去れないのであれば、このアニメ化は間違いなく失敗する。そのくらい「厳しい」作品であることを、製作する側は肝に銘じて欲しい。
少なくとも「エロゲ原作」であることを前面に押し出していくことはタブー。'11年春期アニメ『俺たちに翼はない』がある意味見本に。その上で、基本コンセプトをしっかり宣伝すること。
※「1」では、「厳島貴子×御門まりや」の対立構造があったからこそ「エロゲ原作」「キャラクター中心」の売り方「も」できたが、「2」にはそのような「対立軸」が存在しないので、そのことを明確に意識した売り方が必要。少なくともPV等作成の際は、「キャラクター紹介」的なものは作成しないように。ゲーム(PSP版)のティーザームービーは、単独キャラクターでのフレームがほとんどなく、その点参考になる。
基本的には(ティーンズから20代中盤向け)アニメ雑誌やキャラクター雑誌、声優雑誌で大きく取り上げてもらうことは不可能(少なくともコンプティーク系はコミックを事実上打ち切りして「失格」の烙印を押した)と思われる。本来なら女性向けアニメ雑誌ででも取り上げて欲しいところだがルートがない(泣)。そこで考えられることは以下の通り。
以上